私のD3
ついにD3に手を出してしまった。














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2007.12.12 │ Nikon D300 │ Ai AF Nikkor 35mm F2D │ F5.6 │ 1/80秒 │ 露出:マニュアル │ ISO200 │ WB:晴天
LARGE NOMARで記録 │ ピクチャーコントロール:ニュートラル │ アクティブDライティング:弱め │ オリジナル画像



オリンパスペンD3だが(笑)



使わなくなってもう20年を超える私が生まれた年、1965年発売のカメラだ。
今回、カメラの想い出を書くため久しぶりに引っ張り出した。
革のオリジナルケースのチャックを開くと強烈なカビの臭いがした。
「やっちまった」
放置したことを後悔しながらD3をケースから出すとカビはなかった。ほっとした。
各部を動かすと、露出計が動かないのは随分以前からだが、シャッター音がおかしくなっていた。
シャッターを切るとなぜか「カ・・・チャ」と2度音がする。高速シャッターにしても変わらない。
使うことはないので気にしてはいないが、あの心地よいシャッター音が聞けないのは淋しい。


このオリンパスペンD3は亡き親父のカメラで、家族旅行の時、ダーク系のスーツを着た親父がケースに入れたこのカメラを右手にぶら下げて歩く後姿が幼少の頃から強く印象に残っている。親父は私とお袋の数メートル前をいつも歩いていた。
私が小学校高学年になると、遠足などのイベントにこのカメラを持ち出した。
写真に興味はなく、記念写真を撮るだけだった。
友達と梅小路蒸気機関車館やモーターショーのスーパーカーなどを観に行ったさいはかなりの枚数を撮ったが、現像料の高さにいつも後ろめたい気持ちになった。親からは言われたことがなかったが、自発的に家計に負担をかけないよう気を遣っていた。平凡なサラリーマン、と書けば聞こえはよいが工場労働者の息子だった。


現像代が高いこともそうだが、もうひとつ写真から私を遠ざけた原因があった。
フレーミングである。
自分でこうと決めたフレーミングで現像されてくることはなかった。
何でそうなるのか、プリントされた写真を見るたびに不思議に思ったが、ファインダーの像とレンズを通した像が必ずしも一致しないことをその時は知らなかった。「せっかく考えて撮ったのに」といつも不満に思っていた。


決まった店でプリントしていた。
フジフィルムの旗の昇る街の小さなプリント店だった。
小さな頃は母親に連れられて行ったが、小学校高学年くらいになるとひとりで行くことが多くなった。
写真屋のおじさんはいつも笑顔で迎え入れてくれた。
趣味で機関車を撮っているおじさんは、壁に掛けてある大きく伸ばした機関車の写真を私に見せながら撮影のエピソードを話をしてくれることもあった。
フィルムが入ったままのD3を渡すとおじさんがフィルムを取り出し、空になったカメラの内部をブロアーで吹いてくれた。
その店にいる時間が好きだった。
私の幼少から中学生くらいにかけて、おじさんは私と家族を写真をとおして見つめていた。
思春期に入ると、そのことが恥ずかしくもあり、またちょうどプリントの激しい価格競争がはじまった頃でもあり、自分の写真は圧倒的に安い他の店でプリントするようになっていた。その頃には家族で写真を撮ることはほとんど皆無になっていた。


大人になって久しぶりに店をのぞくと、アンティーク雑貨の店になっていた。
時代物のボンボン時計・・・振り子式の柱時計が狭い店の奥の壁一面に掛かっていて、それらがカチカチと時を刻む音が店内に充満しうるさかった。
おじさんは白髪頭になっていたものの、昔と変わらぬ笑顔で「懐かしいなあ」と迎え入れてくれた。
親父が死んだことを残念がってくれた。
アンティーク雑貨が好きなこともあり、たびたびその店を訪れた。
おじさんはだいたい、店の奥でパイプを吹かし、ボンボン時計たちのカチカチという音に包まれながらドアのガラス越しに眠そうな顔で表を眺めていた。
私が店に入ると椅子を勧め、コーヒーを炒れてくれた。こだわりのうまいコーヒーだった。
知識人で話が面白く、ついつい長居した。


彼の父が亡くなった時には愚痴を聞かされた。
彼の父はファッションが趣味で「大量の服と靴を遺しその処理に困っている」と顔をしかめた。それらを一時保管するためにアパートを借りていた。
「あげる」というので彼についてそのアパートへ行くと、薄暗い部屋いっぱいに靴が並べられていた。明らかに高そうな靴ばかりで、中には大蛇の皮で出来たロングブーツもあった。「これでもだいぶ減った」とおじさんは言った。
靴を5、6足とジャケットを1枚貰った。そのうちの2足のショートブーツは大のお気に入りになった。しっとりとした革の質感に魅せられた。ヒールも高くデザイン優先の靴なのに、長時間履いても疲れなかった。「いい靴」というものを初めて履いた気がした。
亡くなった彼の父親は世界を又にかけるマドロスで、日本有数の靴のコレクターだったらしい。


オリンパスペンD3は好きだ。
クラシックバイクが好きでこのD3が作られた1960年代のバイクを何台か乗り継いだが、どれもこのカメラと共通する良さがあった。
しっかりと作り手の想いが伝わってくる雰囲気があった。
おしゃれで、どこか愛嬌があった。
かわいいのだ。
40年以上たった今も伝わるこれらの「モノ」としての魅力。
これだけはいくら高性能なニコンD3やD300を持ってしてもオリンパスペンD3には遥かに及ばない。


心から人を魅了する「モノ」の時代は終わってしまった。
そして、もう2度とそんな時代はやって来ない。



オリンパスペンD3 (1965):オリンパス ホームページ
OLYMPUS PEN D3:glaf blog

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by Photobra | 2007-12-12 04:57 | レンズ・機材
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